なんか人事に思えないんだよなあ(違う意味で)

尼崎脱線事故への報道のあり方に「むかつき」を覚える今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
タイトルにもあるようにわたしは当直勤務をしているわけですが、JR西日本も当直業務がある*1みたいですね。今日は、この事故と当直との関係が報じられたものについて、言及してみたいと思います。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/amagasaki/news/20050504ddm001040023000c.html毎日新聞

(一部抜粋)
事故後、2人とも警察や消防に連絡しないまま、森ノ宮電車区の運転士は徒歩で尼崎駅まで行き、電車で出勤。尼崎電車区の運転士は徒歩で直接職場に向かった。2人とも通常の点呼を受け、予定通り運転業務に就いた。また、森ノ宮電車区の運転士は出勤途中、同電車区の当直に事故発生を連絡したが、当直は放置していた。

さて、ここで注目する一文は、「当直は放置していた」のところです。
「放置」という言葉が何を意味するのかちょっと理解に苦しみますが、おそらく「事故現場に向かって救助活動を行わなかった」ことを意味しているのでしょう。
わたしの職場でもそうですが、急な病気や交通機関の遅れなどで出勤時間に間に合わない(出れない)場合は急に代替員をとる、もしくは人数が足りないまま業務を行うの二つの選択肢があります。
では、この「当直」が運転士の予備要員だと仮定してみます。
この場合、この当直員は救助活動を行うことができません。当然ですが、いくら尼崎で大事故が起こったにせよ他の路線は運行中なわけなので、運転士の絶対数は必要です。つまり、「人数が足りないまま業務を行う」という選択肢が基本的に取れないわけです。
予備要員をぎりぎりまで減らし、対応可能な者だけ救助活動に向かわせるという対応もありえますが、列車の定時運行という業務を考慮すると、ここまで要求するのは酷かと思います。
これはわたしの少ない経験からですが、よっぽどのことがないと当直勤務の人は休暇の予定じゃない日に欠勤したがりません。つまり、出社可能であればできるだけ出社しようと試みます。これは、「自分が休むと他人に迷惑がかかる」という心理が働いていると思われます*2


http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/amagasaki/news/20050505ddm041040158000c.html毎日新聞

(一部抜粋)
4日、事故電車の乗務員が所属するJR西日本大阪支社の天王寺車掌区で事故当日、ボウリング大会が行われていたことが明らかになった。

当直勤務の特徴として、出勤が土日祝日に関係ない、逆に言うと平日に休みがあるという事が挙げられます。この例のように平日の昼間にこのような懇親の催しがあっても不思議ではないでしょう。
これはうちの会社の例ですが、緊急招集指令は一部の人を除いて当直の人には出されません。理由は現在勤務している当直員の代替員を確保するためです。当日勤務でないもしくはその日の交替員である当直員を呼び出してしまうと、その業務遂行に著しく影響が出てしまうのは明白です。JR西日本でも同様の対応がとられていても不思議ではありません。



本当のところは自分のとこでこの事故をとり上げたくはありませんでした。というのも、雰囲気がどうしても重くなってしまうし、いまさらマスコミ批判してもあまり意味がありませんしね。
ではどうして書く気になったかというと、やっぱり「明日はわが身」という恐怖からなんですよ。「わが身」の対象となっているのは被害者の方ではなく、JR西日本の職員の方です。
正直、同僚の送別会を開いたことすら批判される*3状況には恐怖を覚えます。逆に言うと、JR西日本の職員の方はいつまでこのようなことを自粛しなくてはならないのでしょうか?


もちろんJR西日本の会社の体質に問題がないわけはないでしょう。なくなられた方を家族・友人にもたれている方の心中は、お察しいたします。ですが、その点をどれだけ考慮に入れても、今のマスコミの対応は本当に恐ろしい。自分が会社側の当事者に立たされてしまったら、冗談抜きで絶対に自殺を考えてしまうでしょう。今の心境は、そのような意味のない死者が出ないことを祈るばかりです。

*1:いままで知りませんでしたが、考えてみれば当然ですね

*2:現にこの1年間、急病で休んだ当直の人を見ていません

*3:羽目を外しすぎるのはさすがによくありませんが